桂三四郎ブログ 落語家 桂三四郎の挑戦

落語家 桂三四郎が毎日何かしら発信するブログ。

『話術』話がダメなやつとは受け手に対する想像力がないやつ〜喋りが上手くなるブログ

 

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桂三四郎の喋りが上手くなるブログ

 

受け手に対する想像力

喋りというものは話し手と聞き手がいて成立する。

喋るだけの人でも聞くだけの人でも成り立たない

 

当たり前のようだけど意外とこのことを意識してない人が多い

聞くひとの立場になって考えていない話は聞いててかなり辛い

 

想像力の欠如した話しかた

 

僕が通ってた大学の先生の授業はそんな感じだった

全員とは言わないが

自分の書いた本を教科書に

マイクが拾ってるからかろうじて聞こえる声で

淡々と板書を続ける

 

こんな講義は誰も聞かないし誰の心も動かさない

 

まあうちの大学の学生のレベルはすこぶる低かったから

先生がやる気をなくしてしまうのも無理はないやろうけど

 

例:ボクシング

ボクシングを始める人はどんな人だろうか

 

強くなりたい!!

自分の強さを世に知らしめたい!!

世界チャンピオンに憧れて!!

 

いろんなタイプがいる。

ボクシングジムにプロ志望で入ってくる若者は

数は少なくなっただろうが今もたくさんいる。

今はアマチュア経験者からのプロ転向が多くなっているようだ

最近の世界チャンピオンはアマチュアで経験を積んだ人が多い

 

ヤンキー上がりで地元の喧嘩自慢でプロボクサーになったろやないか

みたいな人が多そうなイメージだけど

ほとんどの喧嘩自慢は挫折してやめていく

ボクシングはめちゃくちゃハードなスポーツで

3分間緊張状態のまま動き続けるだけでもしんどいのに

倒さなければいけない相手がいるのだ。

 

ボクシングを始めるにあたってこの想像力がない人間はすぐ挫折する。

 

ヤンキー時代は、相手を威嚇して周りの仲間と無抵抗の相手をボコボコにして強くなったつもりになっていても

 

ボクシングは、周りの仲間もいなければ、威嚇しても怖がってくれない

その上相手は自分のパンチを避けて殴り返してくるのだ。

 

相手を殴る格闘技ではなく

 

相手と殴り合う格闘技なのだ。

 

受け手のことを考えていない喋りというのは

ボクシングで例えると

「自分がずっと一方的に殴り続ける試合」

を想定して望んでるのと同じなのだ。

 

例:プロレス

いつもこのブログでプロレスのことを例えに出しているが

プロレスほど奥の深い格闘技はない

プロレスはショービジネスであって

お互いの技を受け切った上で倒す。

という前提のもとに成り立っている。

 

そうじゃないとブレーンバスターなんて絶対かからないでしょう。

喧嘩でブレーンバスターなんてかけようとしたら掴む前にボコボコにされます。

 

お互いが相手の技を受け切らずにプロレスを続けたら試合は全然盛り上がりません。

 

他にもプロレスの大前提で

「相手に怪我をさせない」

というものもあります。

 

プロレスラーの鍛え上げられた肉体で本気で技を仕掛けたら

いくら体を鍛えてるプロレスラーでも大怪我をします。

受け身の取れない技で頭からマットに叩きつけたら命の危険もあります。

だから怪我はしないけど派手に見えて痛そうな技を使います。

実際ロープに投げて帰ってきた人の顔面を思いっきり蹴ったら死にます。

あれはプロの技術で思いっきり蹴ってるように見えるけど

実際は音だけ派手でしっかり効かせないように寸前で外しているのです。

 

プロレスラーが大怪我してしまったら、次の興行が成り立たなくなりますから。

 

だから相手のことをちゃんと考えて演出するという思いやりの格闘技なのです。

 

相手のフィニッシュホールドを全然効いてないような顔をしたら相手の顔が立ちません。

 

若手がベテランの顔をビンタしたり、寝ている相手を執拗に攻撃するとマジの攻撃をされていたい目にあわされます。

リングを降りた後は大先輩に戻るわけですから。

 

お互いの顔を立てながら見ているお客さんに

「おい!!今のはマジで入ったやろ!!」

と思わせるという格闘技

 

それがプロレスです。

 

落語の場合

やっと喋りのことの戻ります。

落語は一人喋りの演芸で座布団の上に着物をきた落語家が短くて10分長くて3〜40分くらい話をする。

 

これくらいの知識で僕はこの世界に入門した。

 

はっきり言って情報不足も甚だしいし、自分目線でしか落語家という職業を捉えていなかった。

 

「着物着て座布団座っておもろいこと言うたら客笑うやろ、楽勝やん」

 

くらいのことしか考えてなかった。

 

聞く人間の立場に全然経ってなかったのだ。

 

僕が初舞台で出演させていもらったのは「地底旅行寄席」と言う一門主催の地域寄席

 

ガチガチに緊張して上がって初舞台でなんとか覚えた落語をやることで終わった。

 

「いやいや、初舞台やからこんなもんやろ」

 

2回目の舞台も「地底旅行寄席」

 

「1回目はともかく2回目は爆笑やろ」

 

緊張しながら上がった高座は一回も笑いが起こることなく終了した。

 

「え?なんでやろ?なんでこんなウケへんのやろ?他の人ウケてるのに?」

 

ウケないはずだ。

もちろん落語家として未熟であったこともさることながら

受け手のことを全く考えていなかったからだ。

 

まず地底旅行寄席は、あまりお客さんが入っておらず。

20人行かないくらいの客入り

 

閑散とした中冷ややかな空気で始まる開口一番

 

出て着たのは着物もまだちゃんと着れない

 

見たことのない22歳の若者

 

お客様は平均70代のお年寄りばかり

 

しかもこのお客様は毎回「地底旅行寄席」に来るお客様なので

前座のネタなんて聞き飽きてしまってる

 

相手のことを考えれば、まず自分が何者であるかを

自分より年上の人たちに対して嫌悪感を抱かれないような話し方

そしてネタも聞き飽きていないネタをチョイスしなければいけなかった。

 

1、2回目の若手にそこまで意識はできなくても

聞き手が自分と同世代ではなくあったまってない空気で始まる

と言うことくらいは想像できたはずだ。

 

この聞き手のことを少し想像するというだけで意識というのは自ずと変わっていくものだ。

 

最後に

島田紳助師匠の本の中で

「僕のところに年間100通ほど悩み相談の手紙が来ます。ただその全部に返信用の封筒も切っても入ってません。この少しの気遣いができないことが悩みを作ってる原因じゃないでしょうか」

という一文があった。

 

手紙を受け取る相手のことを考えていたら

 

便箋と自分の住所を書いた封筒に切ってを貼ったものを同封しているはず。

 

こちらの一方的な悩み相談になぜ紳助師匠が時間とお金を割いて答えてくれるのか

 

少し考えればわかりそうなものだ。

 

昔、僕のところにも弟子入り志願の子がきたことがある。

 

それもtwitterで「弟子にしてくれませんか?」きたのだ。

 

受け手のことを考えていたらできない行動だ。

 

twitterでは弟子入りの本気度が測れない。

 

本気でない弟子入り志願は落語家にとって失礼なことだということの想像力がかけているのだ。

 

喋りだけでなく受け手に対する想像力の欠如が相手との関係にひずみが生じる原因だ。

 

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